2013年10月1日火曜日
むかしのはなし
私の生徒さんの中で最年長れいこさん(84歳)と
ゆっくりじっくりお話しする時間があった。
私はれいこさんとお話しするのが大好きだ。
今の暮らしと全く違う、私の知らない世界、「時代」を教えてもらうのは、なんというか・・小説読むより100倍面白い。
今日は、昔の草津のスキー事情に始まり、れいこさんがお勤め時代の話になった。
その昔、草津には白根鉱山があって・・・
私 「むか~しは、街の中ふつうにスキーで移動できたってよくみなさんおっしゃいますよね。」
「そうそう、車なんて走ってないからね、町中がスキー場みたいなものでね。
スキー場からそのまま家の近くまで滑って帰ったのよ。
昔、鋼管にいたころね、会社の寮になっているような場所があったんだけど、そこらじゅう斜面だったから、昼休みによくスキーしたわよ。」
私「昼休みにスキーですか?いまではなかなか考えられないですよね。戦後の話ですよね?」
「戦後・・すぐからしばらくかなぁ。
そうねぇ、あの頃はよく働いたけど、よく遊びもしたのよ。
いまみたいにナイターなんてもちろんないから、昼間滑らないとね(笑)。
8時から4時までが出勤時間だったんだけど、
夏はサマータイムっていうのがあってね、
出勤が1時間早くなって7時から3時が勤務時間になるわけ。
3時なんて、お日様がまだぎらぎらしてるでしょ。
そんな時間に終わったら、家になんて帰れないわよ~。」
私「サマータイムですか・・夏は何してたんですか?今みたいに飲み屋さんとかあったんですか?」
「バレーボールとか、卓球とかしてたねぇ。
みんなでなにかやることが多かった気がするんよ。
お酒飲む場所もあったけれど、
時間があるからお酒飲みに行くっていう感じではなかったと思う。
でも楽しかったって感じはよく覚えてるんよ。
青年部っていうのかしらね、演芸みたいなのを企画してね、」
私「それは自分たちが演じるんですか?」
「そうそう、そんなこともやってね。」
私「へ~!!すごいですね、何でも自分たちで考えて遊んでたんですねぇ」
「そうね~、町の娘がうらやましがってね~。」
私「それはなぜ?楽しそうだから?」
「その当時鋼管には、エリートがいたわけ。早稲田卒とか帝大卒とか。
大卒なんてふつういない時代だから、めずらしいっていうんかねぇ、
「高学歴」っていうのはそれだけでね。」
私「こんな田舎に・・うふふ、その頃も高学歴はもてたんだ」
「鋼管って日本鋼管系の会社だから、エリートさんたちに人気の会社だったんだね。
それで鉱山に派遣されてくるの。
なにか解析センターみたいなのがあったんだよね。
そこの仕事してたりね。」
私「なるほど~。
‘華麗なる一族‘(山崎豊子さん著)の時代ですよね。製鉄所とかがすごい勢いあった時代だ。」
「まさにそうね、その時代だね(笑)
にぎやかだったよ、温泉ももちろんにぎやかっだったと思うけど、
鉱山はすごかったよ。
いまじゃねぇ、過疎で困るくらいだけど(笑)
露天掘りっていうのでね、このあたりは坑道じゃないのね、
硫黄を掘ってたんだけど、
はっぱなんかかけると、だ~っと崩れてね。
そりゃあすごかった。
そういえば、いつの間にか帝大卒の人ばっかりになってたねぇ。
帝大っていうのはいまでもはいるの難しいんでしょ?」
私「はい、そりゃあ」
「そういう人ばっかりがいるんだもんねぇ。
町の子がうらやましがるのも分かるよねぇ(笑)」
・・・・・・・・・・・・
れいこさんとの話は、ここから尋常小学校、尋常高等小学校など、
その頃の教育の話へと続きます。
で、こんな話を聞いたんですよ~
と、また違うハーモニー体操のクラスでぽろっとしゃべったら、
「そうよ~、私が嫁にきた頃だって・・・」
「私が中学生の時は・・・」
出てくる出てくる、昔の話が次から次へ。
でもこれがみんな面白くて・・
もっと聞きたい!
でもレッスンの時間はハーモニー体操しようね(笑)
これは・・もう・・近々、昔の話を聞く会をやらねば!
子供のころ、おばあちゃんの話を聞いても、別に面白いと思わなかったけれど。
大人になってから聞くと、なんておもしろんだ!!
亡くなった私の祖母は、宣教師が作った学校の女学生だった・・・。
おばあちゃんの話し、もっと聞いておけばよかったなぁ。
きっとおもしろかったんだろうなぁ。
気づくのかなり・・遅かったなぁ。
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